弟の口から紡がれる言葉を、どこかぼんやりと聞いていた。やはり、と思う。弟ははたして、本当に「まとも」であるのだろうかと。
彼いわく、ソムノフィリアという異常性癖は、シチュエーションのひとつだという。好みのシチュエーションの、少数派に属されるものであって、けして異常とくくられるものではないと。少数派は、世間的に異常の枠にはまってしまうだけ。それ以上でも以下でもない。
開きなおって、懺悔するつもりだった。自分は異常だと認識して、抑えられない衝動に恐怖して、すべてをあきらめて眠る弟を眼下におさめたあの日。その日は確か、高校の卒業式だった。その年の夏ごろに大学進学から専門進学に進路変更して、勉学に励むことで衝動をやりすごしていたけれど、卒業することでしがらみから解放されてしまい、持て余した毒を上手に捨て去ることができなかった悪夢の日だ。
なぜか晴れやかな顔で笑う弟をいぶかしげに見やる。そんなさらりと水に流せるようなことではないはずなのに。自分がまともではないからか、まともな人間とそうでない人間の区別がわかるようになったことは確かだ。いまの弟は、おそろしいくらい「こちら側」の人間だと直感が訴えていた。
「なんか兄貴、大変なんだな。いいよ、同情して今回の件は焼き肉おごってくれりゃ許すよ。俺、今月ピンチなんだ」
リラックスした声音にはっと我に返る。食べ放題飲み放題コースと、帰りのタクシー代。それでこの話は終わりにしようと言う。そんな安いもので終わらせていいのだろうか。疑念だけが募る。
「あ、そうそう。兄貴、優等生で真面目だったときの自分が白く染めたときに死んだって言ったけど、性癖に気がついたから染めたんか?」
まあ、そんなところ。
「なら、死んでねーな。んなことで悩んでるなら真面目だよ、兄貴。優等生だな」
絶句した。本日、何度目だろう。
自分は、考えすぎだったのだろうかと錯覚してしまった。模範的な優等生からは大きく離れた人生を歩んでいることは自覚している。その人生を選んだのは自分であり、性癖から逃れるためだったことはまぎれもない事実。
彼は優等生だったころの自分を知っているのに、いまも変わらず優等生だと言ってくれる。こみあげてくるなにかを吐きだしてはいけないような気がして、真也は長くため息をついた。
「わかったよ、焼き肉食べ放題飲み放題コースね。都合あわせていこう」
「やーり! 兄貴のおごりほどいいもんはねえよなあ。頼りにしてるよ、兄貴」
「そういうときだけ弟顔するのはよくない。お兄ちゃんはちゃんとわかってるんだよ」
「わかっててやってんだよ。兄貴、お願いごととか断れない性格だもんな。損してる」
「うるさいよ」
冷えてしまったココアを飲みほして、はたと思いつく。
「焼き肉なんだけどさ」
「おう」
「あの子も誘っていいかな、深紗緒ちゃん」
「……え」
瞬間、弟の顔がこわばる。けれど気づかないふりで、言葉を続けた。
「さっきまで合コンに行ってたんだけど、そこで彼女からの誘いを断ってしまったから。今度はふたりで、なんて言ったけれど、女の子だし。まずは友達からはじめてもいいかなって思って。たっくんとなら面識もあるから、問題ないよね。どうせ僕のおごりなんだし?」
スマートフォンをちらつかせながら言えば、ばつの悪そうな顔をして、むっすりと黙りこんでしまった。まあとか、兄貴が払うんだしとか、ぶつぶつとつぶやく声が聞こえるが、おそらくはあきらめてくれるだろう。
鼻歌をうたいながら彼女に誘い文句を打つ。その間も弟はなにも発することなく、黙々とキャラメルを食べ続けていた。あれだけ食べていたら、糖分の過多摂取になるだろうに。
Twitter創作うちよそ「それが僕らの愛だから」より。前:包み紙